これからのこと。

昨年10月に会社を辞めてから既に5ヶ月半が過ぎました。失業保険はまだもらっていません。何でも失業保険は「働ける状態」にないともらえないのだそうです。考えてみれば当たり前ですね。僕は長いことメンタルを患っていて、辞める際もしんどい思いをしたせいか、辞めてからしばらくは動くこともできませんでした。そういうときは、受給期間の延長申請というものをしなくてはいけないということで、主治医の診断書やら書類やらを揃えて申請して……
いまだに楽しいことをしようとか、出かけようとか、美味しいものを食べよう、といった気持ちには全くなりません。甘えてきてくれる猫たちに慰められる毎日です。でも金銭的にそんな悠長なことも言っていられないので、主治医に「労働可」の診断書を書いてもらい、先週、失業保険の給付申請に行ってきました。いろんな噂を聞いてハローワークにはいい印象を持っていなかったのですが、僕の担当になってくれた人は30歳くらいの男性だったのですが、とても丁寧に親身に話を聞いてくれました。そして、障がいを持った方と同様の措置を取ってくれて、求職活動の際も窓口が違ったり、給付期間も長くなったりと、少しだけホッとできたような、そんな感じです。今日は第一回目の講習会(?)でした。来週もあります。順調にいけば月末から給付金が振り込まれるそうです。ただね、やっぱり早く仕事は見つけたい。テレビを見ていても、部屋から外を見ていても、昼間、働いている人たちを見ているとものすごい罪悪感に駆られます。社会から孤立しているような、何の役にも立っていないような、何とも言えない思いに悲しくさせられます。
姉にiPhoneXを買ってもらいました。この歳になって何とも情けない話だけれど、姉と会った時に僕がちょっと欲しいような話をしたら、とんとんと話が進んで。何が欲しかったって、カメラのポートレートモードというのを使いたかったんです。

ポートレートモードで撮ったサンタです。カメラには全く詳しくないけれど一眼レフで撮ったようなボケ具合が何とも好きなんです。本当はこのiPhoneで桜も撮りたかったんだけれど、今年は窓から見える桜を少し見ただけで、例年のように桜を見上げてボーッとするような時間は全く取れませんでした。
好きな詩人で茨木のり子さんという人がいます。その人がうたった「さくら」という詩があります。

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞(かすみ)立つせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

最後の2行をよむたびに鳥肌が立つような、何とも言えない思いにかられます。桜、見たかった。本当に見たかった。体の動かない自分が本当に情けなかった。

みんなは桜を楽しむことできましたか。tamaさんの家の方はまだだいぶ先ですね。reeさんは桜の花びらの中にまおくんを思い出す時間が流れたのでしょうか。桜だけでなく、いろいろな風景、出会い、出来事、歳を重ねれば重ねるほどに愛しく、そして大切に思えてきます。そしてその大切な「桜」という一瞬に立ち会えなかった自分がひたすらに悲しくなります。どうか来年はあの公園で夜の満開の桜の木の下に自分を置くことができますように…