桜散る、なごり雪の日に。

開花宣言が出た3月15日。それでも僕が通勤で通る道にある公園の桜は開花宣言の2日前には咲き始め、先週半ばにはもう葉桜となり、花びらが舞い散っていました。そんな東京ですが、昨日まで暖かかったのに、一転、今日は昼の気温が1°未満、そして白い雪が降り……そんな中、昨日から僕は小春をずっと抱きしめていました。もう動かない小春を。

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先月から歩くのもままならなくなっていた小春。今月に入ってからは目も見えなくなり、トイレもままならず……それでも体を支えてあげると自力でご飯を食べてくれて、僕はその姿を見ると嬉しくて。小春は目が見えないこともあり、用足しの際には部屋をぐるぐると回る仕草を見せて知らせてくれるようになりました。そうすると僕はさっとシートを敷いて、小春はその上にきちんとしてくれて。仕事で留守中のトイレに関しては部屋中にシートを敷いておいたんだけれど、小春はその上で倒れこんでしまって体を濡らしてしまうこともあり、2週間ほど前からおむつをつけるようにしました。仕事が終わって急ぎ帰って来て、まずはおむつをはずして洗ってあげて、そのあとドライヤーで乾かすんだけれど、小春はそれが嫌いみたいで、弱々しい力でいやいやをするんだけれど、僕はその姿さえ愛おしくて。

そんな小春が昨日の朝、旅立っていきました。僕が寝ている間のことでした。朝6時過ぎ、いったん目が覚め、隣に眠る小春の体を触った時にはおなかが動いていて、そのあとまた寝込んでしまったんだけれど、次に目が覚めた8時におなかを触ると、もう動いていませんでした。その瞬間、小春は僕の背中を見ながら、心細くて怖くて苦しかったんだろうと思うと、僕は情けなくて、悔しくて。ありがとうをきちんと伝えられなかったことがどうにも悔やまれて。

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今日、午後2時半からいつもお世話になっている霊堂で小春を火葬してもらってきました。いつもは白い段ボールに寝かせて僕の服や食べ物を添えていたんだけれど、今回はかわいらしいバスケットに小春を寝かせ、シャツや食べ物、そしていっぱいの花で飾ってもらい、送り出しました。最後、骨壺に骨を拾う際、体の形に骨を並べてくれているのを見て、しっぽまであまりのきれいさに本当にこの子は小さいけれど、しっかりした子だったんだなと……そして、今まで送ってきた子たちには申し訳ないけれど、小春にはこんな骨壺にしました。

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2000年2月22日に早朝、公園でミャーミャー鳴いていた小春とペコ、そしてチャボ。名前をつける際、まだ寒さ厳しかったけれど、その公園には梅が咲いていて、小さな春を感じられて、僕は小春と命名しました。ヘチャムクレから取ったチャムや腹ぺこのペコ、みんなそれぞれに名前は好きだったけれど、小春の名前は一番好きでした。

2017年10月にトラちゃんが逝っちゃってから、僕は小春にすっかり頼り切りで。特に無職だった約1年はどれほど小春に救われたんだろう。失業保険も申請できる状態になく、ブログを読み返すと、どん底の心境にいたのに、今はその日々たちを光り輝く眩しい日々に思えて仕方ありません。

ほんの数時間前まで抱きしめられた小春を今はもう抱きしめることができません。その事実に僕はまだ戸惑うばかりで。トットワールド猫屋敷を始めたときにいた子が誰一人いなくなってしまった現実を受け止めきれずにいます。小春を失って、今まで何とかつなぎ止めていた自分の中の何かがぷっつりと切れてしまったような、そして自分のまわりだけ靄もやっとした膜に覆われているような感覚です。何だろう、今回は押しつぶされてしまいそうです。コメントやメールをいただいても、すぐにお返しすることができないかもしれません。そんな情けない状態ですが、それでも僕は小春には精一杯この言葉を贈らなくちゃいけないんだと言い聞かせています。このときに書いたように。

 

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 小春、20年と1ヶ月、本当にありがとう。いつかまた会える。その日まで……『またね!』