僕がいなくなっても大丈夫だよ。

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こんな日がいつか来るって、頭ではわかっていても心はついてこないんだ。あんなに賑やかだった僕の部屋、とうとう誰もいなくなっちゃった。とうとうひとりになっちゃった。朝の「行ってくるね」も、帰宅後の「ただいま」も誰も聞いてくれなくなっちゃった。

去年の春、小春がいなくなってから、サンタは一生懸命僕に甘えてくれた。それまでは噛んだりひっかいたり僕には生傷が絶えなかったのに、いつごろからか、僕のおなかの上で寝るようになり、時には腕枕で喉をゴロゴロさせてくれて。夜中に目覚めると、枕元にいてくれたこともあったりで、サンタは一生懸命僕に元気をくれようとしていたんだ。

少しずつ痩せてきて、調子が悪くなってきても、サンタは変わらずに甘えてくれた。隔週の通院ではびっくりするくらいおとなしくて、キャリーの中でも診察台でもじっとしたまま、ひと泣きもしないんだ。それでもやっぱり疲れるんだろうね、帰ってくるとお気に入りの窓際でしばらくは寝て。

あの休日の朝もサンタはおなかすいたーって、にゃーにゃー鳴いて僕を起こしてくれた。もう少し寝かせてくれよ~なんて思いながらも、目が合ったら愛おしくてさっと飛び起きて、ごはんの準備。サンタは食が細くなってからいろんな種類をちびりちびりと食べるようになって、その日も5種類くらいを用意。でもあれだけ一生懸命鳴いたのに、一口も食べず、そのまま僕の腕の中へ。午前中は腕枕で寝たり、おなかの上で寝たり。でも午後からは疲れちゃうのか、窓際で横になったままで。それからは驚くほどの早さで元気をなくしていって、とうとうほとんど動かなくなっていった。

夜、寝るとき、隣に寝かせて、いろいろ話しかけながら寝ようとしたんだけれど、様子がおかしい。僕はもうそのときにサンタの声が聞こえた気がした。「ごめんね。先に逝くよ。僕がいなくなっても大丈夫だよ」。1時間くらい僕の腕の中でサンタは小さく痙攣したり、大きく呼吸をしたり……そして23時25分、ふぅ~っと息を吐くと、サンタの呼吸は止まった。

ペコがいなくなったあたりからトイレがフリーダムになったサンタ。ここ半年くらいは意図せず漏らしてしまうみたいで、部屋中にトイレシートを敷いていたんだけれど、それでもそこかしこに。朝起きてまずはその片付け、仕事が終わって帰宅後一番にするのもその片付け。結構な時間がかかるんだけれど、僕は片付けをしながら怒ることは一度もなかった。だってその時間でさえ幸せなんだってわかってたから。

「行ってきます」を言う相手もいない。「ただいま」を聞いてくれる相手もいない。それがどんなに苦しいことか、今、初めて知った。今までは誰かが旅立っても、残された子の通院や点滴で悲しみは少しずつ癒えていった。でも今、僕の悲しみを薄めてくれる子は誰もいない。大好きだった猫関係のInstagramyoutubeも見なくなった。見られるようになるまではまだまだ時間がかかるんだろう。

10月16日、サンタが旅立った日です。その日の朝、ごはんを食べなかったサンタは僕の腕に何度も何度もすりすりをしてくれました。そしてそのあとしんどそうにしながらもおなかの上に乗ってきてくれました。僕はその姿を動画に残したんだけれど、何度見ても、まるでサンタが僕にありがとうって言ってくれているような気がして、泣けて泣けてしかたない。ありがとうを言わなくちゃいけないのは僕なのに。

「またねっ!」で終わらせたはずのこのブログ、今度こそ本当にお別れになりそうです。

最後に。

トットワールドの面々へ「ありがとう」。宅配の公園の猫たちへ「ありがとう」。そして21年間かかわってくれた人たちへ「ありがとう」。最後はサンタのお気に入りの1枚にします。小春がいなくなってから、こんな穏やかな時が流れておりました。今年の8月3日、少しずつ弱り始めていたけれど、まだまだ元気だった頃です。

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さようなら。

papa@トットワールド