せつないほどの小春日和。

あれから春がきて、苦しい程に暑い夏が過ぎ、ようやくひと心地つく秋がやってきました。そう書くと、平穏な日々だったように感じるけれど、相変わらず目まぐるしい毎日でした。

6月15日、母が92歳の誕生日を迎えました。姉と仲良くお寿司を食べている写真(義兄撮影)が送られてきて、電話で少し話をして。あ〜、まだ元気でよかった。そんなふうに思っていたんだけれど。

7月6日、姉から電話で母が心筋梗塞で入院した、と。すぐ行きたかったけれど、コロナウィルスの関係で面会制限があり、8日まで面会は待つことに。8日、朝一番の新幹線で僕は前橋へ、そして母が入院する病院へ。ぼや〜っとはしていましたが、その時の母はまだ意識がある程度しっかりしていました。なかなか僕のことを認識できずにいましたが(ここ数年はずっとそんな調子でした)、認識したあとは、少しずつ会話もできて、僕は少しだけホッと……そして面会制限の時間が過ぎて、母は「気をつけて帰るんだよ」と言ってくれて、僕はまた母のところに戻り、「またすぐ来るからね」と……

でも母と会話ができたのはそのときが最後でした。それから東京はまた新型コロナウイルスの感染者数が爆発的に増え、400人超えの日も。病院の面会制限はますます厳しくなり、僕は見舞いに行くことすらできませんでした。そして次にようやく面会ができたのは8月15日。そのときはもう母は意識がありませんでした。もう残された時間が少ないから許された面会でした。その日、僕は母と病室で2人、母の手を握りしめながら、いろいろな話をしました。子供の頃のことから、高校を卒業して親不孝ばっかりだったこと、、、思いつくままに母に話しかけました。母には聞こえていると信じて。そして、それから一週間、8月22日、母は息を引き取りました。毎日顔を出していた姉もたまたま病院から離れたときのことで、誰も最期に立ち会えなかったけれど、母は見舞いが少ないこと、どう思っていたんだろう。最期まで親不孝だと嘆いていたんだろうか。

通夜はせずに、葬儀だけで見送りました。それもごくごく親しかった人たちだけで。友だちの多かった母にとっては寂しい葬儀だっただろうな。僕のメンタルもかなりやられました。10月4日に少し早めの四十九日を済ませ、それからひと月が過ぎた頃からようやく少し落ち着いてきました。まさか新型コロナウイルスの影響をこんな形で受けることになるなんて思いもしなかった。それが本当に悔しくてたまらなかったけれど、母の人生はたぶん幸せだったんだろうと思っています。僕は親孝行ができなかったけれど、姉や甥っ子たちがいつも一緒の毎日の中で賑やかに過ごせたこと、甥っ子たちが巣立ってからも、近くの友だちが来てくれたり、寝たきりの母なのに、本当に穏やかな時間が流れていたのだろうと思っています。

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相変わらず甘えん坊のサンタです。膝の上、お腹の上、いろいろなところでくつろいでくれます。でも超ビビリも相変わらずで、油断するとこんなことに……

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でも、噛まれても何されても、やっぱりかわいいです。幸せだなって思います。ただね、最近iPhoneウィジェットなんていう新機能がついて、写真をランダムに表示させたりすることができるようになったんだけれど、いろいろな子たちが液晶に現れて、最初は嬉しかったんだけれど、最近は会えないもどかしさに気がどうにかなりそうになったりします。そして、そんなランダムに表示される写真の中で今日一番せつなかったのはチャムでした。シロンパくんと並んでおもしろキャラでわが家を明るくしてくれたチャム……そんなチャムの今日は10回目の命日でした。チャムを最期に病院に連れて行った日のこと、今でもはっきりと覚えています。今日と同じようなせつないくらいの小春日和で、僕はその瞬間の幸せを捕まえようと必死でした。その瞬間を忘れまいと……

ブログは書かないなんて言ってたのに、まだたいして時間も経ってないのにごめんなさい。本当に情けないなって思います。

今年は年賀状が書けません。そしてたぶん喪中ハガキも書かないと思います。新年の挨拶だけでも、ここでできたらと思っていますが……

新型コロナウイルス、第3波なんて言われていますね。後遺症とかのニュースを見ると本当に怖いので、僕は月一回のクリニック以外、電車に乗ることもなく、なるべく引きこもっています(前からそんな生活でしたが)。いつまで続くのか、先が見えないだけにキツかったりもするけれど、どうかくれぐれも気を付けて、日々を過ごしてください。健康を願っています。