桜の花びらの向こうに。

桜満開になって一週間。今年は満開になってから冷え込んだ日が多かったせいか、思いのほか、満開の状態が長く続いています。

今日は仕事帰りに、どうしても見たかった、あの「宅配の公園」の桜を見に行ってきました。知ってる子が誰かいたらいいな、なんて切ない願いを抱きながら。大きな桜の木が2本。20年間通い続けたあの公園で毎年見ていたあの桜の木。3年ぶりくらいに見るその桜の木は、悲しくなるくらいにきれいで、花びら越しに見える夕焼けは過ぎ去った日々を思い出させるには十分すぎる美しさでした。

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あの頃。雨の日も風の日も雪の日も……そして仕事で少し遅くなった日も。自転車で公園に入ると、大勢の猫たちがミャーミャー鳴きながら走り寄ってきてくれて。僕がベンチでご飯を用意していると、我先にとにベンチに飛び乗ってきて。疲れて今日は勘弁してもらいたいな、なんて思った日もしょっちゅう。時にはどこからともなく小石が飛んできたりしたこともあったっけ。あの頃は幸せを十分にわかっていなかった。それが今の僕には本当に悔しい。タヌキがいて流星がいて、ジローがいて、マンタやツインズ、ミーちゃん、みみちゃん、そしてビク……僕の膝でくつろいでくれる子も大勢いた。春は桜、秋は夜空、冬は少しずつ咲いていく梅……そんな季節の何気ないうつろいを楽しみながら。

幸せは過ぎてみないと本当にわからない。僕の家、サンタが今、トイレ、フリーダムです。どこでもやらかします。みんながいた頃はちゃんとトイレでしていたのに、トラちゃんが旅立つ前頃から、どこでもやらかすようになりました。それこそ布団の上でも。朝、仕事前に洗っていくこともしょっちゅうです。水道代ものすごいです。怒りたくなることもしょっちゅうです。でもね、そんなこともいつか懐かしく思い出すこと、わかってるから、僕はこれっぽっちも怒る気にならないんです。マックやヒメちゃん、元気たちにももっともっといろんな思いを重ねたかった。十分重ねたつもりだったけれど、今日、あの桜を眺めていたら、僕はあいつらの思い、ちゃんと受け止めていたんだろうかって、そればかり考えてしまって。

前にも引用させてもらった茨木のり子さんの詩。

ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
据えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を
ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と 

帰り道、小学校の校庭で遊ぶ子供たち。桜は満開なのに、そんなことこれっぽっちも気にすることなく、ボール遊びに興じて。あぁ、あの子たちと同じ時間を過ごしていた頃が僕にもあったんだと、今ではそんなことすら信じられないけれど。

あと、何回、この桜を見られるだろう……

どうか、僕の人生、いつまでも猫と関わっていられますように。