あれからの時間。

僕が愚痴なんか言ってる場合じゃないのは十分わかってるけれど、それでもこのストレスフルな時間の経過にただでさえ弱っちい僕の心はすっかり疲弊困憊。そんな状態で誘ってもらった、とあるアーティストのライブ。最初は断ろうかと思ったけれど、少しでも気分晴れるなら、と、土曜日夜、僕は高円寺という町へ行ってきました。
10数名のお客さんしか入らないバーでのライブ。節電ということもあり、アンプやスピーカー等をいっさい使わないアコースティックな音。梅酒を片手に聴くライブは何とも心休まる時間で、終わったとき、重かった心がすーっと軽くなっていくのを感じました。
あぁ、こんな時間も必要だよなぁ。と思いつつ、それでもやっぱり、今、その瞬間も避難所生活を強いられている人たちのことを思うと、どうしたって、心の底から笑うこともできず、いったい、日本中に笑顔が戻るのはいつなんだろう?どのくらい先のことなんだろうか、と。
お米が切れてからというもの、外食やら弁当やら、お菓子で済ませたり、何だかよくわからない食生活だったけれど、それでも昼だけは何とか食べられていたし、どうにかこうにかガマンできておりました。そして、土曜日、心配してくれた遠く四国の友達からお米が送られてきたときは、久しぶりの手触りにうれしさで胸がドキドキワクワクでした。何とかその日には卵も手に入り、楽しみにしていたあつあつご飯に生卵。それだけで十分。十分に満足。まだ不便はかなりあるけれど、それでも買い占めもだいぶ解消されてきたのか、スーパーもがら空きの棚が減ってきたような。
節電も最初はずいぶんととまどったけれど、家の周りも会社も夜の銀座も全然平気です。むしろこれくらいでいいんじゃないか、もう少し暗ければ星もきれいに見えるんじゃないかと思えるほどです。
震災にすっかり心乱されがちだけれど、家の面々もそれなりに大変で、あの大きな地震以降、みんなちょっと揺れるとドアの方へ逃げようとします。あの子たちなりに何かを感じ取ったのかもしれません。地震だからと通院や自宅点滴を中止するわけにもいかず、そのあたりはまったくの通常生活が続いています。ここにきてヒメちゃんの薬の効きが悪くなってるのが心配だけれど、何とか何とか頑張って欲しい、と願うばかり。
長くなりました。僕は元気です。余震なのか自分が揺れてるのかさっぱり分からない人が増えているらしいけれど、僕も全くその通りで、年がら年中揺れてるような気がして何とも気持ちが悪いです。それでもみんなと笑いながら過ごすことができるだけで幸せなんだと、今は心の底からそう思えるような気がします。